村長の想い
吃音村の村長、ミリエルと申します。 吃音村の村人になっていただき、ありがとうございます。 この村はまだまだ開発途中ですが、村人みんなでどんな村を作っていきたいか、私の想いを少しだけお話ししたいと思います。
住民票
この村では、まず村役場で自分の住民票を作成します。 住民票には、自分の吃音について詳しく記録できる欄があります。 例えば、「自分の吃音は難発型か、連発型か、伸発型か」「どんな音が言いにくいか」「どんな場面で言葉が出にくくなるか」「これまで吃音とどのように向き合ってきたか」といったことです。 こうしたことを自分のペースで振り返り、書き残すことで、まずは自分自身の吃音について理解を深めるきっかけにしてもらいたいと思っています。 また、この村に暮らす人たちは、「吃音」という共通の体験を持っています。 もちろん、吃音の症状や、それによって経験してきた苦労は、一人ひとり異なります。 それでも、他の村人の住民票を読んで、「自分と同じようなことで悩んでいる人がいるんだ」「こんな経験をしてきた人もいるんだ」と感じることがあるかもしれません。 そして何より、この村の住民票を通して、「吃音を抱えているのは、自分だけじゃないんだ」と感じてもらえたら嬉しいです。 住民票を、単なる自己紹介ではなく、自分自身を知り、他の村人とつながるための場所にしていきたいと思っています。
農園について
この村には、村人たちが一緒に作物を育てる農園があります。 農園では、自分が経験してきた吃音にまつわる苦労を「種」としてまくことができます。 例えば、「電話で言葉が出なくて困った」「自己紹介で自分の名前が言えなかった」「吃音をからかわれて傷ついた」などなど。 日常生活のなかでは、こうした苦労を誰かに話しても、なかなか理解してもらえないことがあるかもしれません。 しかし、この村には、同じように吃音を抱えながら生きてきた人たちがいます。 誰かがまいた苦労の種に、他の村人たちが共感や応援の気持ちを込めて、水をあげることができます。 水をもらった種は少しずつ育ち、やがて農作物として収穫できるようになります。 収穫した農作物は、自分で持っておくことも、他の村人に贈ることもできます。 私は、吃音による苦労も、誰かと分かち合うことで、価値のあるものになるのではないかと考えています。 自分にとってはつらかった経験が、他の誰かにとって「自分だけじゃないんだ」と感じられるきっかけになるかもしれません。 また、誰かの苦労を知ることで、その人への理解が深まることもあると思います。 もちろん、つらかった経験を無理に話す必要はありません。誰かの種に水をあげるだけでも、農園に参加することができます。 一人ひとりの苦労が、みんなを支える糧になる。 農園を、そんな場所に育てていきたいと思っています。
砂漠について
この村のはずれには、広大な砂漠が広がっています。 砂漠は、吃音を抱えながら生きることの難しさや、生きづらさを象徴する場所です。 吃音があることで、私たちは日常生活のさまざまな場面で困難に直面することがあります。 例えば、「人前で発表すること」「電話をかけること」「初対面の人に話しかけること」などです。 他の人にとっては何気ないことでも、吃音を抱える人にとっては、とても勇気のいる挑戦かもしれません。 砂漠では、そんな生きづらさのなかで、一歩踏み出した経験を「種」としてまくことができます。 どんなことに苦労し、どんな行動を起こし、その結果どうなったのか。 自分自身の挑戦を振り返り、物語として書き残す場所です。 そして、その種に他の村人たちが応援の気持ちを込めて水をあげることで、やがて砂漠に花が咲きます。 私は、挑戦の価値は、成功したかどうかだけで決まるものではないと考えています。 勇気を出して電話をかけたけれど、うまく話せなかった。 思い切って人前に立ったけれど、言葉が詰まってしまった。 それでも、困難に向き合い、一歩を踏み出したことには、大きな価値があると思うのです。 そして、その経験を村人たちと分かち合うことで、誰かが新しい一歩を踏み出す勇気をもらえるかもしれません。 もちろん、いつも挑戦し続ける必要はありません。立ち止まることも、挑戦しないことも、大切な選択です。 砂漠は、誰かと成果を競い合う場所ではありません。 一人ひとりが、それぞれのペースで歩んできた道のりを、互いに認め合い、讃え合う場所です。 たとえ思いどおりの結果にならなくても、その一歩が、誰かの心に花を咲かせるかもしれない。 砂漠を、そんな場所に育てていきたいと思っています。
自分の家の畑について
この村では、一人ひとりの村人が、自分の家に小さな畑を持っています。 自分の家の畑では、日々の生活のなかで「できたこと」を種としてまくことができます。 例えば、「今日は自分から挨拶ができた」「苦手な電話をかけることができた」「言葉が詰まったけれど、最後まで自分の思いを伝えることができた」といったことです。 吃音を抱えながら生活していると、どうしても、うまく話せなかったことや、失敗したことに目が向いてしまうことがあります。 しかし、日々の生活を振り返ってみると、小さくても、できたことはたくさんあるのではないでしょうか。 私は、できなかったことだけでなく、できたことにも目を向けてほしいと思っています。 自分の家の畑では、そうした小さな「できたこと」を一つひとつ種としてまき、水をあげながら育てていきます。 そして、育った作物を収穫することで、自分が積み重ねてきた「できたこと」を振り返ることができます。 この畑は、他の村人と成果を競い合う場所ではありません。 誰かに認めてもらうためでも、誰かに見せるためでもなく、自分自身のために育てる畑です。 他の人にとっては当たり前のことでも、自分にとっては大きな一歩だったかもしれません。 また、何か特別なことを達成しなくても、「今日は無理に言葉を出そうとせず、自分のペースで話すことができた」ということも、大切な「できたこと」の一つだと思います。 小さな「できたこと」を一つひとつ積み重ねることで、自分自身を少しずつ認められるようになるかもしれません。 自分のなかに、自信という作物を育てていく。 自分の家の畑を、そんな場所にしていきたいと思っています。
図書館について
この村には、村人たちが読んだ本の感想を共有し合える図書館があります。 この図書館では、吃音そのものについて解説した本や、吃音を抱える人の体験記、吃音者が書いた本など、さまざまな本をみんなで集めていきたいと思っています。 しかし、吃音に関係する本だけを集めたいわけではありません。 小説でも、歴史でも、哲学でも、人生について深く考えさせてくれる本でも、村人たちにとってプラスになりそうな本であれば、どんな本でも構いません。 私は、声が出にくいからこそ、読書を通じて人生を豊かにしてほしいと思っています。 吃音を抱えていると、自分の思いをうまく言葉にできなかったり、人との会話に苦労したりすることがあります。 しかし、本の世界では、誰かと話すときのように、言葉が出るかどうかを気にする必要はありません。 自分のペースで言葉と向き合い、さまざまな人の人生に触れ、知らなかった世界を知ることができます。 私は、話すことに苦労があるからといって、その人の人生まで狭くなってしまう必要はないと思っています。 むしろ、読書を通じて知識や想像力を育み、物事を深く考えることで、自分自身の世界をどこまでも広げていくことができるのではないかと考えています。 そして、この図書館では、本を読んで終わりにするのではなく、そこで感じたことや考えたことを、感想文として他の村人たちと分かち合ってほしいと思っています。 同じ本を読んでも、心に残る言葉や感じ方は人それぞれです。 他の村人のおすすめの本や感想文を読むことで、自分にはなかった視点に気づいたり、新しい本との出会いが生まれたりするかもしれません。 もちろん、難しい本を読む必要も、たくさんの本を読む必要もありません。 自分の心に響いた一冊を、大切に読んでもらえたらと思います。 話すことに苦労があっても、心の世界はどこまでも豊かにできる。 図書館を、そんな可能性を感じられる場所に育てていきたいと思っています。